ブラジルをあそぶブログ  VIVAカリオカ!

執筆、撮影、コーディネート、リサーチなどお仕事の依頼に関しては naoko@wasabibrasil.comまで。ブラジル、リオデジャネイロ在住17年目のコーディネーター、ライター、カメラマンのパパイア・マンゴー日記。

----

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

CM: --
TB: --

1215

ノエル・ホーザ リオのソウル・ミュージック  

サンバの詩人、ノエル・ホーザ。
鉗子分娩で生まれており、また生まれたときから病気を患っていた。ヴィラ・イサベル地区でヨーロッパ系の中流階級の家に育ち、生涯この地区を愛したミュージシャン。サンバとビールをこよなく愛し、入学した大学の医学部も途中退学。ノエルを一躍有名にしたのは、1930年に録音された「Com que roupa?」。2006年の映画「Noel - Poeta da Vilaノエル・ローザ ヴィラの詩人」では、この曲がブラジル国歌にインスピレーションを得て作られたことを説明している。


叙情的で繊細なノエルの歌は1930年代、ラジオやレコードの浸透と共に、多くの歌手によって歌われた。10年足らずの間に発表した作品は、200曲以上にのぼり、その多くが今もカリオカに愛され続けている。ボサノバの巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルトは、ノエルの作品を録音した有名ミュージシャンの一例である。

その後も多くの曲を送り出したノエルだが、女性問題の多さでも有名だ。多くの既婚女性の愛人として名をはせた後、上流階層の女性と結婚するが、実は愛していたのはラパ地区の娼婦の女性だったという。愛人としての彼女をたたえる曲「Dama do Cabaré」はあまりにも有名だ。サンバにビール、女性と、夜の街を徘徊したノエルだが、長く結核を患っていた。ミナス州で療養するものの、リオデジャネイロに戻った後、26歳の若さで亡くなる。

今でもヴィラ・イザベルには、ノエルを思い起こす多くの場所が残っている。
レストラン・カペリーニャ:ノエルが通ったレストラン
石畳の模様:
ノエルの銅像;






Posted on 2014/12/15 Mon. 02:32 [edit]

CM: --
TB: --

最新の記事

カテゴリー

プロフィール

ブロとも申請フォーム

▲Page top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。